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復活! サブカルをメインに批評・考察・提案するブログです。

まおゆうを読み終えて

ネタバレ注意!


巷で話題の、まおゆうをやっと読み終えました。
まおゆうとは、魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」というスレッドタイトルの略称で、インターネット掲示板2ちゃんねるに投稿されたweb小説のことです。
今はまとめサイトで読むことができます。http://www35.atwiki.jp/maoyu/など、いろいろあります。
書籍化も決定されたそうですが、そうなるとまとめサイトという無料で読める環境が続くかどうかわからないので、ネットで読みたいならお早めに読まれたほうが良いかもしれません。


それでは、批評をさせていただきます。


この作品は、まず「今じゃない、未来を目指そう」というものを目標に、勇者と魔王が秘密裏に和解して手を組むところから始まります。
これを「あの丘の向こうへ行こう」と言っています。


最初は、てっきり、この作品が私たちの現代社会の次を指し示すのかと誤解しました。序盤の説明が現代的だったので……
しかし実際には、近代以前が近代になるようなお話でした。
その上で、実体の無い「次」を指し示しています。ラストの新天地のシーンがそうです。
何が次なのかはわからないけれど、それを目指すこと自体がすばらしいというテーマだと解釈しています。


何も言えていない、という批評も見かけますが、何も言えていないわけではありません。
ただ、読者に対しあたかも「読者にとっての新しい次」を明示してくれるのかと思わせるけれど、それは示さない、というオチだったから「何も示せていない」と言われてしまうのでしょう。
正直私も、最後まで読んでみて「ただの現代賛歌じゃないか……」と落胆したのは事実です。


では、なぜそういう感想になってしまうのか?
それは、一番最初に「次を目指そう」といって始まり、最後も「次を目指そう」といって終わるからです。
つまり、結論が最初から出ている形になってしまっているのですね。これはいけない。
最初に言うのも最後に言うのも、どちらかだけだったら別によかったのですが、両方でやってしまうと堂々巡りの印象を受けます。

現代賛歌をすること自体が悪いわけでもないし、私が嫌いなわけでもないのですが。さんざん話を盛り上げてキャラを殺して、でも堂々巡りでした、では納得できません。
また、現代社会、作中の世界がたどり着く自由主義の世界は、手放しでほめられるものではないので、それが嫌な方に反発されても仕方ないとも言えます。
まあ私なんかはあの銀英伝のラストにすら反発を覚えるので、人よりも強く反発しているのかもしれません。
もし、正体不明の新天地に都合よく転移するラストではなく、最初の村にしろ南部連合にしろ、現実感、日常に立脚できる場所で、次を目指そうといってくれたなら、明確な変化を肯定してくれるのできっと反発も薄かったのですが、次、新しいもの、ばかりがイメージされるとってつけたような新天地だから嫌なのです。
成長物語で言えば、新しい「日常」に戻ってくれなければ嘘なのです。描写上で、日常に着地できていないからあやふやになる。


文体というと語弊があるような気がしますが、地の文がなく、擬音を頻繁に出す形式は、一貫されているし、2ちゃんねるに投稿するという意味では戦略にあっていますね。
しかし、作品の雰囲気とは合わないな、と述べておきます。
子供向けの絵本の文体と、同じような印象を与えますので、どうしても緊張感が目減りしてしまうのです。
ひょっとすると、この作品を踏み台にするつもりでこうしたのかもしれませんが。


終盤で「やみのころも」や「ひかりのたま」「おおぞらをかける」という固有名詞が出たあたりで確証がもてたのですが、どうも元ネタが多いようです。
でも、オマージュならまだともかく、固有名詞をそのままもってくるのはどうでしょうか。やめた方がいいと思いますよ。
やみのころもを先代魔王たちの霊の結晶と言うなら、ドラクエからのパクりに頼らずとも、解決法の設定くらいできたと思うのですが。


キャラの選択や成長で盛り上がっている終盤で、突如それ自体をメタ視して相対化するのは、盛り上がりを減らす結果を招いていると思います。
メイド姉や青年商人の行動や決意を、結局は世界のシステムのおかげだと言っているようにも見えるのです。これには、散々肯定した「人の意思」を無かったものと言っているに等しい、それほどのマイナスイメージを受けます。


この方の、過去へ転移してしまう黒髪の話も読んでいるのですが、そちらでは、主人公の決意や変化が大変都合が良かった。その上、何も無いのに、なぜか実力がある。
思いの力と受け取れるのかもしれませんが、私としては主人公が血の通った人間に見えず、正直気持ちが悪かった。嫌な言い方をすれば読者への迎合と性欲パワーにしか見えませんでした。
しかし、今作では裏づけがあるので良かったです。勇者と言ってしまえば強くてもおかしくはありませんからね。あとから、修行をしたからだ、といわれても変だとは思いません。前作と比べれば、苦悩からの変化にも説得力があります。


また、ラスト、勇者と魔王の立場が複数になり、誰かが凶行に及んでも、他の誰かが抑止力になって、実力で止めあえばいいといっているように見えます。
このまおゆうの世界の武器は、ライフルが持ち込まれた程度。だからそれでも世界が終わるようなことは無いですが、自由主義現代社会では核を誰かが撃ったらそれで終わるような気がします。
だから、現代へのメッセージだとしたら時代遅れに見えます。


作品としてきれいにまとめるには、すでに再評価のなされつつある近代へ向かう変化を描くのはひとつの手段ですが、現代の読者へ送るための部分が幾分失敗していますね。
今を肯定する根拠としては弱いのです。だから反発を受ける。
私の好みとしては、それでも苦渋の選択を取るしかなかった、という変化であって欲しいのです。
それが結果的にいい結末を呼ぶのだとしても。


計算づくで書いているのだろうと判断したのでここまで高望み気味な批判、批評をしましたが、もし即興で遊んでいるだけなら一切気にされなくて結構です。
まずそれは無いだろうと考えてはいますが……否定しきれないので。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。