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復活! サブカルをメインに批評・考察・提案するブログです。

残飯という境界線――キャラクターの独立

 ネタばれ注意!




情報公開当初は、萌え豚の揶揄として悪名高かったアニメ「トントンとん!」だが、ふたを開けてみれば一転、今期最大のブヒアニメとして大人気である。
今回は、トントンとん! の構造と魅力を解き明かして行こうと思う。


舞台は山のふもとの農村。主人公は、豚のトトン。農家の大村家に飼われていて、いずれは出荷される予定である。
だがある日、農家の娘のチエが拾ってきたお団子を、泥で汚れていたので自分では食べず、トトンに食べさせる。このお団子が、神社に供えてあったものだということは、冒頭の紆余曲折をを見た方々は理解していることと思う。
これにより、ある程度の知性と変身能力を手にしたトトンは、よくわからないうちに脱走してしまう。


この団子によって、トトンが神通力を得るというのは、実にわかりやすいことだが、おばあちゃんことトミが、神通力というキーワードを台詞でしゃべってくれない限りは、あまり神通力には見えなかっただろう。
なにしろ、その能力は、不思議な美少女に変身すること、なのだから。前置き無しでそれだけ出されたら、とても神社でどうのこうの、には見えなかったに違いない。
だが、作品全体の描写の方向性、雰囲気もあいまって、説得力が出ているのだ。
映像の力で強引に納得させるという意味では、ジブリの変則構造にも通じるものがある。


あらすじとしては、

  • トトンが変身能力を得る。と同時に大村家から失踪する。
  • 脱走する途中で、熊との戦闘がある。辛くも逃れるが、尻尾を失う。この際にちぎれた尻尾を、後にトミが見つけることによって、トトンは山で死んだとされる。
  • トトン、チエと友達に起こるトラブルを解決。内容は日常的で、人助け型の魔法少女モノを彷彿とさせる。
  • 村はお祭りの前準備に突入する。一方トトンは自分の力に疑問を持ち始める。そして、団子が原因だったと気がつく。
  • 祭りの準備をしに行く大村家を追い、トトン神社へ。お供え物の団子を発見。参拝する。
  • 祭り当日。順調に進むかに見えたが、熊が乱入、トラブル発生。トトンは負傷しながらもトラブルを解決しようとする。最終的には我が身を犠牲にしてチエを助ける。
  • 死と同時に、姿が豚に戻る。
  • だが死んだのはあくまで体であって、トトンの精神は団子パワーで、すでに八百万のカミと化していた。チエと再会してハッピーエンド。ED動画では、神社で暮らすようになったことが示唆されている。

……という風になっている。


最初から家族の一員ではあった。しかし家族の中で、ひとつ段階の下がった位置にいた。これは最終的には解体されるという現実から生じる壁で、決して強い壁ではないが、確かに存在している。
人間同士であっても、家族内で夫婦の二人とその他が、どこか別になってしまうこともあるだろう。そういう種類の壁である。
しかし、主人公トトンが、自ら命を投げ打つことで、将来における計画的な献身が回避される。家族内境界が存在する根拠を、完全に破壊してしまったのだ。死んだものをもう一度殺すことはできない。


ただの豚だったころのトトンが普段食べていたのは残飯で、一見するとそれは人間の食べ物とは違う。しかし残飯というのは、元々は人間の食べ物だったものである。
このことが象徴的に描かれていることからも、元々家族の一員ではあったということはわかると思う。
本来であれば、食肉として人間に貢献するであろうが、それをそのまま描くのではなく、個人として命を賭して死にゆくという形のメタ。
もしラストで、皆でトトンの肉を食べるような展開があったら、それは道理的にはともかく、感情移入した観客としてはあまりうれしくない終わり方だろう。
それはそれでカルトな人気が出たかもしれないが……避けたのは賢明だったといえる。エヴァ的な流れを汲んでいるならともかく、王道をやりたいのなら擬似とはいえカニバリズムは避けるべきだ。
ともあれ、トトンは家族の一員になったのではなく、最初から家族の一員ではあったことに注目したい。
これは、子供が大人になるメタファであろう。農家であれば、仕事を手伝うようになるという変化であり、また、家を受け継ぐという変化とも言える。
トトンは大村家を受け継ぐわけではない――が、豚から人間と同格になり、さらにカミと同格になっている。
だから、途中までは子供が大人と同格になるという変化のメタファともとれるし、ヒトを超えてカミに至った点では、独立のメタファといえるのだ。


この作品は、あらすじだけを見れば、あまりオタク系には見えない。実際、ビジュアルは、どちらかといえば一般向けによっている。
しかしトトンは美少女に変身するし、一部では萌え作品のメタともとれるシーンもある。


人の姿になってから日が浅いのと、元々動物だったので、幼い印象を与える言動をする。
つまり変則的ではあるが子供、未分化な少女としての魅力を描いているからこそ、オタ文脈の中、ヒロインとして機能しているのである。
これは、傍らに、一般を貫き通したかのようなチエという存在がいたからこそ成立したといってもいい。
チエとの違いだけでなく、共通点を描くことによって、美少女トトンが、女性としてはどのような位置づけなのかを明確に打ち出しているのである。中でも「駄菓子の食べ方」がチエと同じように子供らしかったことが、印象としては大きいはずだ。


最初のほうで、ジブリと似ているとも書いたが、擬似魔法少女トトンと、少女チエのコンビは、最近流行している、女主人公と友人などのレズっぽい構造にも当てはまる。


しかし、あくまでノーマルとしての王道をやるなら、レズは家族にはなれず、どれほど擬似恋人として本物っぽくとも、結婚できない。すなはち、レズとしての関係性では、家族の一員にはなりづらい。
だからこそ、トトンがあくまでチエの友人として死に、カミへ至ったのは、自然な流れではあるのだろう……




最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
本日は4月1日です。