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ギャグ漫画の手法

ギャグ漫画家の寿命は短いといわれています。今回はこれを分析してみましょう。
単純にネタを使い果たして潰れるという想像もできますが、私は別の構造があるのではないかと恐れています。それは思考回路の逆転現象です。
(この名前は適当に付けています)
ギャグというのは、現実に対する「ありえなさ」がひとつの指標だと思われます。では実際に、何でもいいのでありえないことをメモしてみてください。それは演出さえ考えればギャグのネタに使えるはずです。
たとえば初期のクレヨンしんちゃんは、母親を呼び捨てにする。これは普通の家庭ならばありえません。しんのすけの言動も、現実にあると仮定してしまえば何かの精神異常者にしか見えない。しかし、それがウケたわけですね。
オタクがそれだけで笑いの種にされてしまうのも、オタクでない人からしたら、「ありえない」行動をとるからこそなんですね。
怖い顔のキャラクターが女々しい趣味をもっていたり、一昔前のオカマネタなどもノーマルな人からしたら「ありえない」ことだからこそギャグになっているというわけです。
つまり、ギャグ作家がネタを考えるというのは「ありえないこと」を日常的に考えるということになるわけです。


ありえないこと、というのは、普通と逆のこと、と言い換えることができます。
普通の文明的な日常生活を送りながら、しかし日常と逆のことを思考にめぐらすというのは、多大なストレスになると思われます。
詳細な脳内分泌物などに関しては専門分野ではないので丸投げしますが、このストレスが積もりに積もって「思考回路の逆転現象」を引き起こそうとするのではないでしょうか。
実際に逆になることはまさにありえないにしても、もし逆になってしまえば、いつも「普通のこと」を考えていられるわけですから、「ありえなさ」の探求に慣れて習慣化してしまえば、徐々に逆方向へ変わっていくと予想ができます。
そして日常、普通の基準を壊し、ネタのバランスが取れなくなるのではないかと考えられます。


ところが、もう何十年もギャグ漫画家として活躍している作家がいます。小林よしのり先生です。
ゴーマニズム宣言はエッセイであったり思想であったりするので、ギャグではないことも多くありますが、それでも東大一直線・快進撃、おぼっちゃまくんや秀逸な短編など、ヒット作を継続的に打ち出せています。最近では遅咲きじじいというギャグ漫画がこれまた売れています。
才能といってしまえばそれで終わりですが、偶然にせよ計算にせよ、彼の作品群には、確かなひとつの技術が見受けられます。


それは「ありえなさ」を一箇所に集中して使うことです。
つまり、作品の根っこの部分にありえなさを内包させてしまえば、それに巻き起こされるネタのほとんどが、半ば自動的にありえなくなってくれるわけです。
これは「異常天才」と呼ばれている彼の漫画の主人公たちの多くに共通することだと考えられます。


たとえば、東大通は極端にアホで変態。教室でためらい無く脱糞する馬鹿です。
おぼっちゃまくんは極端に金持ちで、言動から常識が欠如していますね。


つまり、ありえなさを考えるときに、自分から切り離して考えることができるのです。
「ありえないコンビニ」を考えるのではなく「ありえないキャラがコンビニに行ったら」を考えるわけです。負担はぐっと減っているはずです。


これはありえなさを主人公の役割とする論になるかと思います。
しかし役割は分散することができます。
つまり究極的に偏った変態を出さなくとも、ちょっと変な人たちの集合でもギャグ漫画は成立できるというわけです。しかし、安易にこれをやると類型的などうでも良い漫画になりがちです。
その辺のさじ加減を覚えるためにも、小林よしのり先生の「異常天才キャラ」を見本に、極端なキャラを作れるようになってからの方がいいのかもしれない、と提案して結びに代えさせていただきます。
ありがとうございました。