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才能を発揮するには――「できる」と「できない」

 皆さんは、自身の才能を把握しているだろうか。

 答えは様々だろう。

 だが、そもそも、人は自身の才能を把握することなど、可能なのだろうか?

 

 挑戦してみて、成果が出れば、その成果分は才能があったことになる。

 だから、すでに大成功している人は、自信をもって自分には才能があると言えることだろう。

 しかし、まだ挑戦していない時点でも、才能がある可能性は存在するはずではないのか。また、成果が出ない場合でも、その後花開く可能性がある以上、才能がないとは言い切れない。

 このように、才能というのは、把握できる場合が限られているものなのだ。

 

 だからこそ、何かをする際は「できる」と思って事に当たった方がいい。

 「できる」と思っていると、実際に「できる」場合や、「できるようになる」場合があるものなのだ。

 反対に、「できない」と思って事に当たると、失敗し、成果が出ないことが多い。そのうえ、本当はできたはずのことが、できなくなる事すらある。

 

 

 思うに、個人の何らかの実力というのは、「体に染みついた、意識しなくても行える能力」と「無自覚に身についている、自分にとっては未知数の能力」の二つが合わさったものであり、後者には才能も含まれる。

 そして、後者は無自覚で未知数だからこそ、「できない」と思っていると、発揮されなくなってしまうのである。

 人はだれしも、自らの精神状態の影響を受ける。ならば、「できる」と思っていれば調子がよくなり、「できない」と思っていると調子が悪くなるのは、当然ではないのか。

「できない」という呪いじみた思考を自らに施すのは、やめた方がいい。

 やってみたら、できるかもしれない。いや、できる! と思って挑戦を繰り返した方がいい。

 

 思い出してみてほしい。子供のころや若いころに挑戦する場合は、未知数の自分込みで挑戦するのが当然な場合が多く、だからこそ、才能を試すことができることも多かったのではないか。

 だが歳を重ねると、自分のことを分かったつもりになってしまう。未知数の自分などいない気になるのだ。だから、才能を試せない。本当は才能はあるかもしれないのに……。非常に、もったいない話だ。

 自分のことを本当に把握できている人間など、ほとんどいない。必ず、未知数の部分がある。だから、わかったつもりという呪いじみた思考からは脱するべきだ。

 そして、歳をとっていないにも関わらず、呪いじみた思考にはまり、才能を試せない人もいる。

 そういう時は、自分自身を疑ってみることだ。呪いじみた思考を解く第一歩となることだろう。

 

 才能を発揮するには、「できる」と思って挑戦することが、肝要なのである。

 

 

 

 もちろんこの記事は、慢心することや、危険なことに飛び込むことを推奨しているわけではない。

 そういったことは前提として、共有しているものと思って記事を書いたが、そうでない場合もあるだろうと思ったので、最後に注意事項として書き加えておく。

 

 最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!