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復活! サブカルをメインに批評・考察・提案するブログです。

アートと萌え

村上隆さんの作品がどうのこうのというのがTwitter上で話題になっている。


アートについては、ほんの少しかじった程度の知識しかないが、TLを見ていて思い出した事と、考えた事があるので書いておく。




私は今小説を書いているのだが、それはさらに詳しく言うと、いわゆるライトノベルである。
少なくとも純文学を目指して執筆してはおらず、中高生向けの娯楽作品、と言う位置づけで書いているので間違ってはいないと思われる。
ところで、ご存知のことと思うが、小説にはネタというものがある。
超能力者や幽霊、ロボットなど、顧客の興味を引きそうな題材、どれを、どう使おうか、と言うのがそれである、ということもできる。
このネタだが、たとえば超能力者を登場させると決めて、超能力についての資料を集めるとする。
実際に超能力者だといわれている人物の資料を見ることもあるかもしれない。
だが、いわゆるSF小説の魅力を分析し、持ち込もうとする場合が多いのではないか。
しかしこのとき、SFの魅力をそのまま移植しても、優れたライトノベルにはなりにくい。
それは料理にたとえると「中華料理のために下味をつけた肉を、フランス料理の鍋にぶち込む」ような行為だからだ。


ではどうしたらいいかというと、この場合下味が料理の分野に対して合わないと言うことになるのだから、下味を変えれば良い。
食材を変更する必要はない。フランス料理にあう下味をつければ良い。
つまり「中華料理で使う食材を、フランス料理の手法で味付けする」ことが必要になる。
これなら、誰もが認めるフランス料理になるだろう。
しかし、この時点で、もはや中華料理ではなくなっている。
つまり、フランス料理を求める客に対しては満足させることができるが、中華料理を求める人間には不満を抱かせる一品になるわけである。


これと同じことが、小説でも起こる。
本格ミステリ小説の挿絵が極端な萌えイラストだったり、登場人物にオタク文化的な口癖があったりしたら、ひんしゅくを買うだろう。
あるいは熱血ファンタジーの主人公をそのまま持ち込んで「刺されたけど実はエナジーパワーで耐えていた! 俺を刺した奴を覚えているぞ! お前が犯人だ!」とでもやったら、ひんしゅくどころか作品として崩壊している。


だが、主人公が常識を超えず、普通の熱血漢であるだけで、刺されたら普通に死ぬ。という設定なら、作品を崩壊させるまでには至らない。
ミステリとして、物語を作ることができるだろう。
しかしその時点で、ミステリ作品であって、もはや熱血ファンタジーではない。


そして、現代美術とオタク文化の組み合わせでも、こういうことが起こるのではないかな、と言うことになる。
あくまで現代美術としてやっているなら、オタク文化作品としての方向へ仕上げては駄目であるし、逆もまたそうである。
鑑賞する側も、現代美術なら現代美術として捉えるべきだということになる。
これをまた食べ物でたとえると、そばを食べて「これはラーメンとしてよくない」というようなもので、それでは駄目だと言うことだ。
相手の本質を見ようとする努力をするべきだからである。批評や批判はその後だと考えていきたい。




最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。