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復活! サブカルをメインに批評・考察・提案するブログです。

Angel Beats! をあえて計算ずくのシナリオとして考察する

 麻枝作品(Key作品)のネタバレに注意!




私が観た、プレイしたことのある範疇での話ですが、KanonAirCLANNAD等には、一つの傾向があります。
それは、話をどんどんもりあげて、しかしその流れを、奇跡でいきなりぶった切って、観客の求めている流れに乗せなおして感動させる、というものです。


人の思い、象徴としては光を集めると、時間がまき戻って渚が死なない未来になる、という一つの例を見てみましょう。
別に奇跡が無くとも、主人公が渚の死を乗り越えて新たな幸せをつかんで……たとえば汐が一人前に育って終わり、という話でも感動できないわけではありません。
そして奇跡、オカルトが絡まないならば、渚は死んだままのはずです。しかし生き残らせる。
これはそれまでの流れを、奇跡という力技で無理やり、観客の望む方向へぶん投げたといっても良いと思います。
もちろんそれで面白いことには面白いのですが、この面白さは奇跡があるからではなく、それまでの流れがあるからこそなのですね。
この、それまでの王道的な流れをぶった切るにもかかわらず、面白さが減じない絶妙なさじ加減が、麻枝作品の一番の強みなのではないかと考えます。
KANONは幸せな流れが不幸に転じたところを無理やりハッピーエンドに戻しています。
AIRは幸せに向かって進みそうな話をぶった切って悲劇に戻しています。
逆に言うと、どれだけぶん投げ方にさじ加減が利いていても、王道的な流れに面白さを持たせられなければ、作品はつまらなくなってしまうわけです。


では、今回のAngel Beats! の考察に入ります。
今回の流れは、最初からアンチ王道です。
喜劇に対する悲劇というアンチではなく、喜劇の王道に対しアンチの喜劇作品、悲劇の王道に対しアンチの悲劇作品、というような意味です。
では、どういった王道に対してのアンチなのでしょうか。
私は、今までの麻枝作品に対するアンチではないのか、と考えました。
今までの作品では、王道部分がぶった切られて破壊されるときは、一撃必殺的に一瞬で破壊されています。もちろん一撃必殺を放つための準備は、作中で最初からずっと積まれているのですが、その効果を発揮するのはあくまで破壊するときだけでした。
しかし、今回のAngel Beats! では、王道の否定を強調したいがために、常に効果を発揮させてしまい、作品全体を壊してしまっているように思います。
最初にも言いましたが、麻枝作品の奇跡には科学的な根拠が欠如しています。奇跡は起こるから起こるし、翼人はいるからいるのです。
それが最後だけ効果を発揮するならともかく、最初から最後までストーリーに干渉し、破壊するとなると、全てがぶち壊されてしまいます。
死んでも生き返るし、制限も無い。流れのまま、日向が成仏するかと思えばしない。重大な要素に見える主人公の記憶も、取り戻す努力は必要なく、きっかけ一つであっさり戻る。天使ちゃんが敵かと思えばそうでもない。
料理で言えば、最後に一振りすれば良いタバスコを、パスタをゆでるときからずっと振り続けているようなものです。
その結果、料理で言えば美味しさ、シナリオで言えば、王道部分と共に「面白さ」を破壊してしまっているように思います。


そこまでして、わざわざ破壊するのは何故なのでしょうか。
リトバスのテーマが「現実へ帰れ」だったように思うので、ひょっとすると今回も「(王道を否定、破壊することによって)現実へ帰れ、強く生きぬけ、と観客につきつける」というテーマなのかもしれません。
たとえば、主人公たちの生前の記憶は全て虚構で、成仏したと思って目覚めた先が現実の世界。経験を糧に現実を生き抜け! といったような、いつかの天才テレビくんのようなオチを想像してしまいます。
あれは殆どの人間がサイボーグになってしまっていて、二人の子どもが最後の生身の人間でしたよね。二人は普通の人間の家庭で育ったという嘘の記憶をもっています。で、二人に教育をしているのが番組というものでした。
ゆりっぺが何十分も金目の物を探している間に周囲が異変に気付かなかったり、全員がドナーカードを持っていたり、少々まずいシナリオからそう考えてしまいます。
ドナーカードだって、たとえばそれを届ける途中の人が乗り合わせたとか、もう少し説得力があって欲しいものです。しかし作品全体に説得力がありません。思っただけでものを作れる世界の癖に食事はとらなければならないなど、いくらなんでも幼稚すぎます。
しかし、作品を作っている人間は幼児ではなくプロです。しっかりした理由があると考えることができます。
実際、放映されたエピソードには粗が目立ちますが、しかしその後の展開を正確に読めてはいないのではないでしょうか。これがストーリーそのものの破壊による効果ではないかと思うのです。


物語の深さや、テーマの複雑さ、重さ、という意味では魅力はあるのですが、こういった破壊の所為で、例え意外なテーマがしっかり意外に伝わったとしても、作品を見た感想としては、面白くない。の一言に終わってしまうのではないでしょうか。
しかし、最後のぶん投げ方が予想できない、読みにくいものならば、印象に残るアニメにはなるのではないかな、と推測します。